現役パティシエと学ぶ、お菓子の歴史

ヨーロッパを中心にお菓子の誕生から現在まで、その背景も一緒に学んでいきましょう。

「ビスキュイ」 ①

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ビスキュイについてです。

 

この言葉は、16世紀までさかのぼると、元々“bescuit” =二度焼く  と言う言葉で使われていました。

最初は、貧しい人々や巡礼に配る為に修道院が作っていた二度焼きしたパンの事でした。

 

そのうち、小さくて丸い、両面を焼いて石のように硬くて、日持ちのする焼き菓子を考えつきます。これは現代のビスコット、“ラスク”の先祖で、兵士や長旅に出る人の必需品でした。

 

ですが17世紀ごろから、パウンドケーキやスポンジケーキの様な物もビスキュイと呼ばれるようになりました。理由は分かりません…

 

確かに現代でもお菓子業界では、ケーキのパーツであるしっとりとしたスポンジ生地を、ビスキュイと呼ぶ事が多いと思います。けれどもまた、元々の意味のように、完全に乾いた“フールセック”、サブレ、ビスケットと呼ばれる物たちもまた「ビスキュイ」であることは確かなのです。

 

こちらはフランス土産のビスケット缶です!

 

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左上に“Biscuitier”=ビスキュイ職人 と書いてあります。柄が可愛くて、中身がなくなった今もお茶の葉入れとして使っています…

 

可愛い柄が多いビスケット缶。

私の様に捨てられず、集めている方もいるのではないでしょうか。

次回はこのビスケット缶にまつわるお話を書きたいと思います。

 

 

 

「シュトーレン」  発酵菓子②

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発酵菓子の第二弾はこちら、

 

「Stollen」- シュトーレン -

 

発祥は14世紀のドイツとされ、これはドイツ語です。

フランス人に聞いても知らない人が結構いて、はじめは驚きました。

日持ちがするので、少しずつスライスして食べてクリスマスを待つのが本来の習わしとされる、この時期にぴったりのお菓子です。

赤ん坊のイエス・キリストのおくるみ姿を表した白い生地の中には、ドライフルーツやナッツ、スパイスを練りこまれ、時には棒状のマジパンが包まれている事もあります。

 

近年では日本でもかなり広まって、パティスリーやブーランジュリーだけでなく、スーパーやコンビニなどでも見かけるようになり、ついに先日はアメリカンな(?)コーヒーショップのスターバックスで販売されているものに出くわしました。

 

それがこちら

 

 

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発酵生地ではなく、パウンドケーキのような食感で、クランベリーが多く混ぜ込まれているところにスタバ感を感じました。

私が思い描くシュトーレンらしさはないなと思いましたが、コーヒーにはよく合うお味でした。

 

そして、私が個人的に好きなのはこちら!

 

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世田谷区用賀のパティスリー リョウラの シュトーレン アルザシアン”

 

フランスでも、ドイツに近いアルザス地方にはアルザス風のドイツフランス菓子があるんです。断面を取り忘れたのが悔やまれますが、表面が薄い皮(クラスト)に覆われていて、なんともいえず揚げパンのようで美味しいのです。

これを食べたアルザス出身のフランス人も、「アルザスの味がする!」と言っていました。

 

また他にも、現地ではチーズ入りのシュトーレンなど、お店によってかなりのバリエがあるようです。

日本でもお気に入りの美味しいシュトーレンや、変わり種があれば、コメント欄にてぜひ情報おまちしております・・・

 

「アントナン・カレーム」  ①

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お菓子に少し詳しい人なら、この名前を聞いたことがあるかもしれません。

製菓学校を卒業している人は更にでしょう。

 

 

本名は「マリー=アントワーヌ・カレーム」

 

いや、本当は捨てられた子が、自らこの名前を名乗ったというので、本当のホントは分かりません。

 

 

 

彼をひとことで表すとすれば、お菓子の世界のレオナルド・ダヴィンチ。

天才的な発明家、画家であり建築家であり、執筆者でもありました。

 

彼については語りつくすことが難しいと思うので、時間をかけて少しずつ勉強していきたいと思います。

また、これは私のひとつの夢なのですが、彼の書いた原書を、いつかフランス語で読んでみたいです・・・・

 

 

まず、彼が発明したもの、お菓子の絞り器や、料理人がかぶる山高帽。

小さなパーツを組み立てた大きな細工菓子のピエス・モンテ。

 

 

 

詳しくは、また次回・・・・!

 

 

 

「プティフール」  

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「プティ・フール」

 

ざっくり言うと、一口サイズの小さいお菓子の事です。

17世紀頃、この言葉が生まれる前に“フリアンディーズ”とも呼ばれていたのは、元々“フリアン”が美食家や特に甘いもの好きの人々を意味していたからでした。

フリアンディーズはその後、現代にも使用される、“グルマンディーズ”という言葉にとって代わられます。

 

そして、「プティ・フール petit four」=(小さい窯) の呼び名の由来は、温度調整の難しい昔の石窯で、肉などを強火(グラン・フーgrand feu)で焼いた後の弱火(プティ・フーpetit feu)で、魚やお菓子などのデリケートなものを焼いていたところから来ています。

プティ・フールには大きく二つの種類があって、焼き菓子のプティフール・セックや、一口サイズに作られた生菓子のプティフール・フレ(またはプティ・フールグラッセ)があります。

 

また、ビュッフエ、ランチ、カクテルパーティなどで出されたり、フランス料理のコースでデセールとともに提供される「プティ・フール」ですが、似たような言葉で、“ミニャルディーズ”という言葉もあります。前者に比べて、後者の方がデリケートなデザートのようなイメージがありますが、どちらも詰め合わせにして手土産になることもしばしばです。

「ミニャルディーズ mignardises」は、フランスの古典主義画家で愛くるしいものを多く描いたピエール・ミニャールの名前が語源です。

 

 

 

 

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 こちらは、どちらかというとコンフィズリーになりますが、

尾山台“オー・ボン・ヴュー・タン”のショーケース。

色鮮やかです・・・!

 

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そしてこちらは、青山で最近話題のミニャルディーズ専門店

“アン・グラン” のプチガトー

フランボワーズの大きさを見て頂くとわかると思いますが、ひとつひとつがとても小さいのです。

それでも、どれも中までしっかり作りこまれていて、普通サイズのガトーと考えても何ら劣らない細かさでした。

 

通常のサイズのガトーの仕上げでも大変ですが、更に細かい職人の技には頭が下がります。伝統的なプティ・フールやコンフィズリー、ボンボンショコラなどは、並べているパティスリーは都内にもいくつかありますが、それらは見ているだけでもとてもワクワクします。

 

日常生活ではあまり注目しないサイズのお菓子たちですが、ぜひ機会があれば試してみてはいかがでしょうか・・・

Comme les francais

 

 

「乳製品」  ①

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ご無沙汰しております。

 

今回は乳製品の誕生について書きたいと思います。

 

前回の記事とつながりが無くて申し訳ありません・・・

勝手ですが、今突然、仕事をしている中で急に出てきた関心や、気になっているお菓子から、気まぐれに書いていこうと思います。

それでも飽きずに覗いていただけると幸いです。

 

さて、乳の加工食品がいつごろから存在していたかというと、それには、はっきりとした証拠はありませんが、おそらく紀元前3000年より以前にはバターとチーズが存在していたと言われています。

なんでも、メソポタミアシュメール人が、会計簿をつけていたことから分かったそうです。

 

そして当時、その原料となっていたのは、おもに羊や山羊の乳でした。

牛も家畜として存在はしていましたが、古代の牛の原種は大型で獰猛であったため扱いづらく、なかなか普及しなかったのです。

 

私はまだ食べたことがありませんが、羊のバターは白くて脂肪分が高く、ロックフォールチーズのような味がするそうです。対して山羊の乳からはバターは作れず、もっぱらチーズに加工されるそうです。山羊チーズには、有名なシェーブルチーズや、ナポレオンの故郷のコルシカ島の名産、ブロッチュチーズ(ブロッチョオ)などがあります。地中海付近には、今もメソポタミアの文化が残っているようです。

 

バターを保存する設備のない当時は、お菓子作りにも、バターよりラードや植物性の油、そしてチーズなどもよく使われました。

 

次回はそんなお菓子も少し紹介したいと思います・・・

 

「ガレット・ブレッサンヌ」 発酵菓子 ①

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今日は「発酵菓子」についてです!

 

そして少し順番を変えて、先にお菓子を紹介しつつ、パンの元、酵母の誕生に迫っていきたいと思います。

やはりお菓子そのものが出てくると、書いている私も楽しいのです・・・

 

フランス菓子で発酵菓子といえば、まず始めに“ババ・オ・ロム”“サバラン”を思い浮かべる方が多いかとは思いますが、さて、こちら

 

 

 

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“ガレット・ブレッサンヌ” というお菓子、ご存知でしょうか?

この写真は、以前受けた伝統菓子の講習会のものです。

このお菓子は、フランスはリヨンの北、ブレス地方が発祥のお菓子です。

バターが入ったブリオッシュ生地の上に、クレーム・ドゥーブルという脂肪分の高い生クリームを塗って焼きます。生地が焼けるにつれて、溶けたクリームが浸み込み、なんとも言えないクリーミーなパンが焼けます。

写真のものはカシスの実をのせてアレンジしていますが、本来はシンプルなお菓子です。

日本ではクレーム・ドゥーブルが手に入りにくいので、クリームチーズと生クリームなどで代用することがあります。

 

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こちらは私が自宅で焼いたもの・・・

少し浮きすぎてしまったのと、クリームチーズに加える生の割合を増やせたら良かったかなと思いました・・・

 

日本のパティスリーではあまり見かけませんが、パン屋さんの方が置いているかもしれません。都内で有名なところであれば、“ジョエル・ロブション”のブーランジェリーで小ぶりな“ガレット・ブレッサンヌ”を買うことができます。

他にももし目撃された方がいれば、ぜひ教えていただきたいです。私の大好きなお菓子のひとつです。

 

では次回は酵母について・・・

 

「小麦粉」 ②

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 では前回の続き、「小麦粉」を使用したお菓子の誕生について

 

 

 私は小麦粉を使用したお菓子の誕生は

   “お菓子の誕生”

 とも言える出来事だと思っています。

 

 しかし、これを説明するのはとても難しいことです。

 なぜならこの事について考えようとすると二つの問題に行き当たるからです。

 まず、お菓子づくりに関する最初の記述が古すぎて伝説の範囲であるという事と、そもそもお菓子とは何か、という事です。これらの問題の答えは曖昧です。

 

 お菓子づくりに関して書かれた最初の記述は紀元前1000年頃、旧約聖書にあり、アブラハムが聖人をもてなす為に妻に「小麦粉をこねてパン菓子を作りなさい」と言っているものです。聖書の中の設定では、これは前2000年代のこととされていて、小麦粉以外の材料や作り方は分かりませんが何か日常のパンとは違う、贅沢なもの、“お菓子”だった事が分かります。

 では、“お菓子”とは何なのでしょうか。もちろん当時は、現在の様にキャラメルやチョコレート、クリームなども到底生まれていません。

 人が生きるために何かを食べ、生食が困難なものをなんとか加工し、パンを焼いたその後に、味が良くなるように、貴重な何か、例えば油分や糖分を少し加えて誕生したとっておきの食べ物、それが“お菓子”なのだと私は考えています。お菓子も元々は日常の食事だった、だからその境界線は今なお曖昧なのです。

 

 誕生したばかりの贅沢品は、主に神への供物品にされる他、婚礼の儀式などで食べられました。しかしそれはやはり、現代菓子とは比べ物にならない程に質素なものだった事でしょう。

 今でもお菓子が特別な食べ物であることは変わりませんが、私はお菓子は食事の中のひとつであるとよく考えます。なんでも美味しいものが手に入りやすくなった現代ですが、一方世界的な材料不足も言われています。

 お菓子の歴史を勉強することは、同時に、お菓子の今を考えると言うことではないのでしょうか・・・

 

 

 こちらはルーブル美術館の“古代のパン職人”

 

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いつもの材料をお得に購入(cotta)