「お菓子の世界の偉人 ② ジュール・グーフェ」
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Bonjour à tous !
以前私は“料理界の偉人”としてアントナン・カレームについて書きましたが、今回はその弟子、「ジュール・グーフェ」について書きたいと思います。
「ジュール・グーフェ」
カレームに比べると知名度は劣りますが、この人物はアントナン・カレームの直弟子であり、お菓子の世界に大きな変革をもたらした、お菓子史的偉人の一人であることは間違いないでしょう。
グーフェは19世紀初め、パリで評判のパティスリーに生まれ、当然のごとくパティシエになるべく育ちました。
そしてある運命の日、グーフェの店の前を通りかかったアントナン・カレームはその足を止める事になるのですが、それはまさに、ショーウィンドウのピエスモンテ(ヌガーやマジパンなどで装飾された大型の砂糖細工)の素晴らしさに心を奪われたからでした。それから、その造り手としてスカウトされたジュール・グーフェ。それはまだ彼が16歳の時の出来事でした。
現代でも、フランスは子どもの職業選択が早く、パティシエになると決めた子どもは、15、6歳から専門の学校に通い、また同時に、実際に見習いとしてお店で働きながら経験を積みます。
先日あったフランス人のパティシエは、21歳で既に6年の経験がある、中堅パティシエでした。
さらに義務教育もない時代としても、グーフェはだいぶ早熟なパティシエであったか、やはり他にない才能があったのでしょう。
そして、そして、このパティシエは、カレームの様に、歴史に残るヒット商品を沢山生み出したわけではありませんが、私たちの仕事において最も大切なことを導入しました。
それは『計量』です。
それまでの、パティシエの仕事はまさに職人技。
長年つちかった感で材料を量り、生地の焼き時間も感でした!
グーフェの仕事はいつも、目の前に時計を置き、手に秤をもって絶えず確かめる。
というものでした。
お菓子づくりには計量が命!!と最近ではほとんど皆んな知っていますが、当時これを守るものは稀だったのです。彼のおかげで、レシピ本というものが、きちんと後世に伝わるものになりました。それ以前のものは、間違いだらけのレシピであったり、そもそも分量が書いていなかったりと、ロクなものでは無かったと彼自身批判しています。
料理や菓子づくりは単なる技術ではなく、科学である。
計量を時に面倒に思うズボラな私ですが、きちんと計るというのは、きちんと美味しく作ろうということ!!
頑張りましょう!
それでは、また!
A bientôt ;) !
“ 家にある古い秤 ”
「そういえば、パックとは?イースターとは?」
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Bonjour à tous !
気が付けば4月も終わり、日本はGWに突入ですね!
パティスリーにとってこれは夏前の繁忙期の一つです。
新幹線も停まる駅近のお店で働いていた友人は、クリスマス並に忙しいと悲鳴を上げていました!
さてさて、今回のテーマなのですが、パック=イースターについてです。
話題がすでに古いかも知れませんがお許し下さい。
来年の為にと思って行ってみましょう!!
イースターとはキリスト教においての「復活祭」、フランス語では「パック」と言い、十字架に架けられたキリストが、その3日後に復活した事を記念するお祭りです。
その祝い方は地方によって様々ですが、卵やバターや乳をふんだんに使用したパンやケーキが作られ、豪華な正餐が取られます。これには、キリスト教会において、復活祭より前に動物性食品を禁止している期間があるために、その間に貯まった食材を消費すると言う意味合いもあります。
そして何より有名なのが “イースターエッグ” 。
もともとはデコレーションされたゆで卵でしたが、パティスリーやショコラトリーでは、この時期沢山のショコラの卵が作られ、それぞれのお店が他にないデザインをと、しのぎを削っています。
リヨンの老舗ショコラトリー
"パロマス" 復活祭のディスプレイ
高級感あふれる、パリ13区のパティスリー
“Carl Marietti”のたまご
更には卵だけでなく、多産の動物たちをモチーフに、ニワトリやウサギ、サカナなどを模したショコラも売られます。これは、スーパーなどでもお手軽に買うことができますが、フランスでは4月も終わり頃になるとこの様に…
セールになります。
またこの他にも、いくつか買うと安くなる、もしくはもう一つは無料と言うのは、フランスではよくある値下げ方法です。
ご存知の方も多いかもしれませんが、実は復活祭とは移動する祝日で、基本的には "春分の日の後の最後の満月の次の日曜日" 。
今年のパックは4月16日でした。
そして更にややこしいことには、西方教会と東方教会、キリスト教の派閥によって暦の算出方法が違うので、『復活祭の日』と言うのがそれぞれ別に存在する年があるのです。
繰り返しますが、今年はたまたま、どちらも4月16日でした。
私がショコラトリーでパックの卵を作っていた頃は、一体いつがパック当日なのだろう、この卵はいつまで作り続けて売って良いのだろう、といつも疑問に思っていました。
毎年チェックしなければならいのは億劫ですが、今ならば簡単にネットで検索すれば、Wikipediaなどで双方の祝日が簡単に分かります。日本のパティスリーでは、東方教会のパックまで卵を販売すれば親切ではないでしょうか。なぜなら、大抵はそちらが後に来るからです。
確かに私たち日本人の暦の見方は、西方教会の使用するグレゴリオ暦ですが、日本正教会は東方教会に属し、ユリウス暦を使用します。そもそも、日本人がクリスチャンではないのにお祭りに参加したいと言うのがちょっと無茶で、これはクリスマスとよく似ていますね。
もちろん、私自身パックのショコラにわくわくするし、クリスマスも欠かさずお祝いするので、批判はできません!
私は無宗教ですが、ヨーロッパのお菓子を学ぶ上でキリスト教は切り離すことができません。
日本にヨーロッパ文化が入って来るのは良いことですが、敬意を持って、その意味をよく理解しようとする事を忘れてはいけない様に思います。
それでは、また次回!
A bientôt ;) !
「レストランで新しい食材を知る」 ①デセール
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Bonjour à tous !!
先日、クロワルッス(croix-rousses)にあるフレンチレストランに行って来ました。
お店の名前はレ・サヴールド・ペーイグレック(les saveurs de PY)。フランス人シェフと日本人の女性の共同経営で、私の下宿している家のマダムから、とても美味しいから行ってご覧なさい!と勧められたので行ってみました!家から徒歩15分ほどの距離。
トリップアドバイザーなどでも、お店の評価は極めて高く、ランチはいつも満席。私も一度、予約なしで訪問という暴挙で見事惨敗してしまい、翌日改めて訪問しました。
私が頼んだのは、18€のコースで、前菜、メインにデザートが付き、それぞれ3、4種類のメニューから選ぶ事ができました。
前菜はこちら“キュウリのクネルとクスクスのサラダ”
さっぱりしていて、ビネグレットに醤油が使われていました!
sauce sojas (ソースソジャ)=醤油
もはや、日本人が経営しているお店か否かに関わらず、最近のフレンチでは当たり前の様に使われる事がある、メジャーな調味料になりました。そしてこちらのレストランでは特に、料理の中に和の食材が使われているようです。
メインは “牛肉とカリフラワーのピュレ、キャベツのラビオリ添え”でした。
こちらではまだスーパーで見かけたことが無いのですが、青梗菜?のような野菜がお肉の下に。
こちらにもソースに醤油が使わていました。食べ応えわあるのに、どれもさっぱりしていて軽い印象でした。
そして、デセール!!!
“ショコラのスープとウフ・アラネージュ、ピスタチオのクルトン” でした。
ウフ・アラネージュはメレンゲを茹でたお菓子。
ナッツとクルトンもたっぷりで、沢山の食感があって美味しかったです。
このメレンゲの上に乗っている葉っぱが可愛くて、日本ではまだ見たことがなかったので、きいてみたところ、クレソンの仲間だそうです。リコリス(甘草)のような、甘くて爽やかな味がしました。
こういった小さい葉っぱを飾ることが現在どこでも流行っているそうなのですが、恥ずかしながら知りませんでした。日本でも、レストランデセールであれば使われているのかもしれませんが、パティスリーでは、せいぜい、ミント、セルフィーユ、頑張ってもローズマリーやフェンネルくらいしか見たことがありませんでした。
新しい食材を知るとテンションが上がります!とても勉強になります…!
さて、このレストランは洗練された料理が片意地を貼らずに、食後のカフェをつけても20€で楽しめ、なによりお店の雰囲気が、サービスが良く、とてもオススメです!アットホームでくつろげます…
次はパティスリーのことを書きたいな~と思いますが…
On ne sait pas !!
A bientôt ;) !!
「例のあの丘、お菓子の守護聖人」
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Bonjours à tous !!
前回のクッサンの記事で取り上げました、「Fourveireの丘」に登って来ました!
そう、昔のお役人さんが登ってお祈りを捧げたという、例のあの丘です。
この通り、リヨンの街が一望できます。
フランスは今、パック(キリストの復活祭)のバカンス中ということもあり、観光客で賑わっていました。
足元には、リヨン旧市街とサン・ジャン大聖堂。川を跨いで街の中心街が見え、この写真では分かりずらいですが、その左手には私が住んでいるクロワ・ルッスの丘があります。街のあちこちがユネスコの世界遺産に指定されていて、古代ローマの遺跡や、美しい大聖堂が残るこのフルヴィエールもまた世界遺産の一つです。
長い長い坂道を登ること40分(どうやら私は遠回りをしたらしい)、フルヴィエールのノートルダム大聖堂に到着。
一部の礼拝堂は18世紀から残っているものですが、このメインの聖堂は、1870年からの普仏戦争の際にプロシアからの侵略を真逃れた事を聖母に感謝する為に建築され、1896年に完成した比較的新しいものだそうです。ノートルダムというのはNotre(私たちの)Damme(貴婦人)=聖母マリアのことです。フランス各地にある聖堂にこの名前がつけられているのは、それらが聖母マリアに捧げられて建設された聖堂だからです。
聖堂の内部とステンドグラス
荘厳な雰囲気です!
また少し分かりずらいですが、建物の上に着いているこちらの像。
大天使ミカエル=フランス語ではミシェル天使、そうサンミッシェルです。
あのMont-Saint-Michelのミシェルと同じですね! 悪魔を槍で突こうとしています。この天使は人間の魂を天秤にかけるとされます。
天秤を持つことから、13世紀にはフランスの菓子職人の間でお菓子の守護聖人と定められました。ちなみに9月29日はサンミッシェルの日です。
さてさて、歴史溢れるこの街リヨン。
数々の発明や繁栄がありました。
食、またそれ意外のところでも…
これからじっくり紹介して行きたいと思います!
A bientôt ;) !!
「クッサンドリヨン」 ①
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Bonjour à tous !!
ご無沙汰でございます!
実は4日ほど前よりフランスはリヨンの街に越してきました。
何とも急ですが、この美食の街として有名なリヨンで、お菓子をはじめ、いろいろな美味しいものを食べ!!!そして学んでいきたいと思います…
リヨンにはいくつか有名なお菓子がありますが、
こちら!
「クッサンドリヨン」
今回はこのクッションの形を模した、パートダマンド(美味しいマジパン)のお菓子について学びたいと思います。
クッサンドリヨンとはなにか。
このお菓子は17世紀のある伝説をもとに、1960年に誕生したお菓子です。
伝説は古いですが、お菓子自体は比較的新しいですね。
では、その伝説とはなにか。
時は1643年、リヨンの街ではペストが流行していました。医者たちが手を尽くしても、黒死病と呼ばれたこの病の拡大は止められません。
そこで当時の役人たちはリヨンにある丘、フールヴィエールの丘に登り、7リーヴル(約3.5キロ)の蝋燭と絹でできたクッションの上に金貨を一枚のせて置き、聖母マリアに祈りを捧げました。
それ以来毎年、この祈りは繰り返され、その際に響いた三発の大砲の音は、この祈りが届けられたことを示していました。
伝説が事実かは分かりませんし、今現在もまだこの習慣が残っているかは分かりませんが、ペストは去り、リヨンの街には平穏な日々が戻りました。
そしてこの伝説をもとに、1960年、リヨンの老舗パティスリー “VOISIN” ヴォワザンでクッサンは考案されました。今回載せているクッサンの画像は、リヨン旧市街のパティスリー、“A LA MARQUISE”ア・ラ・マルキーズのものです。今ではリヨン中のトラディショナルなパティスリーをはじめ、お土産屋さんなどでも買うことができる銘菓になりました。
緑色がベーシック。青いお酒、オレンジキュラソーが効いています。他にも様々なフルーツの味があり、アルコールを使用していないものもあります。うすーい糖化したシロップで覆われた表面はシャリっと、餡子のような感触のパートダマンドにその中にはチョコレートガナッシュが包まれています。甘さは強めなので、コーヒーと一緒に頂くと最高です。
日本で購入できるお店は限られていますが、 アーモンド菓子の専門店、“パパピニョル”さんなど、インターネットからの注文もできるお店もあるようです。
リンクを貼らせて頂きます → http://papapignol.com/item/coussin-de-lyon/
ではでは、また少しずつお菓子や街のレポートをしていきたいと思います。
A bientôt ;) !!
パティスリー"VOISIN"
「ざるもせいろも盛りそば!!フランスのそばガレット!」 ①ガレット
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お菓子の歴史からズレてしまいますが、少し「蕎麦」について書かせてください。
なぜこんな話になったかと言うと、あるキュイジニエの方と日本蕎麦の話になった時、私は恥ずかしながら“ざる蕎麦”と“せいろ蕎麦”の違いが分かりませんでした。異国の料理やお菓子を学ぶ者が、自国を代表する料理について知らないとはなんたる事か!!!とお叱りを受け、確かに…おっしゃる通りと慌てて勉強した次第でありました。
さて現在一般的に食べられている麺状の蕎麦ですが、本名「蕎麦切り」と言い、江戸時代より前、16世紀の終わり頃には既にこの形状で存在していたと言われています。元々は貧しい農民の為の雑穀でしたが、その後、江戸時代には将軍への献上品とされるほどの栄誉ある食品にまで昇華しました。食べ方としてはせいろにのせてたまま蒸して食べる、蒸しそばが主流だったそうです。
もちろん庶民の間でも蕎麦は人気であり、蕎麦屋は出前の際、蒸した蕎麦をせいろのまま配達しました。せいろは重ねる事ができ大変勝手が良かったのです。
その後、竹ざるに乗せて“ざる蕎麦”として提供しブレイクさせた料亭が出現。ざる盛りはより高級なものと言う認識になり、当時は麺つゆにも差を出して、ざる蕎麦のつゆにはみりんを入れて甘さを付けていました。今ではその差もほとんどなくなり、蕎麦屋で全く同じ器に盛られた“ざる蕎麦”と“せいろ蕎麦”の違いは、麺の上に刻み海苔がのっているかどうか、と言うことになっています。
奈良時代に日本に伝来したと言われている蕎麦ですが、麺の形になる前は粒のまま粥にしたり、“蕎麦がき”と言って、そば粉をお湯で練り、団子の形状で湯掻いた料理にして食べていました。日本史にデビューしたての蕎麦は、あまり美味しい食べ物とは言えず、農民たちが飢餓をしのぐ為の食べ物でした。
これはフランス、ブルターニュ地方の有名なそば粉料理「ガレット」とも似ているところで、ガレットが人々の食生活に根付いたのは、ブルターニュの雨が多く痩せた土地でも"ソバ"が栽培可能な穀物だったからなのです。
そういえば、久しくガレットを頂いていませんね…
フランスで美味しいガレットに出会えるのを心待ちにしています…!!
浅草で頂いた五目そば
「劣悪な紅茶 ミルクティー」 ① 茶
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ご無沙汰しております!!
日常のバタバタで、すっかりサボりがちに…
重い腰をあげてなんとか一記事いってみましょう…!!
今回は少しお菓子から離れて、「紅茶」についてです。
皆さんはお菓子のお供には何を飲むでしょうか。
重厚でコクのあるバタークリームのお菓子には力強いコーヒを。
爽やかで繊細なムースのお菓子には華やかな紅茶を。
はたまた、濃厚なチョコレートケーキに更にカカオ感満点のショコラショーを合わせて楽しむというのも、某有名ショコラトリーのお勧めでもあります。
もちろん、一口にコーヒー、紅茶と言っても、その種類は様々でお菓子やその時々の気分に合わせると、その組み合わせは無限に考えられます。
コーヒーも紅茶も大好きな私ですが、(お茶をする、という行為そのものが好き)どちらかと言うと、私は紅茶派です。それも、しっかりと発酵された強めの、ミルクがよく会うお茶が好きです。
さて、今回はこの「紅茶」、特にミルクティーの小話を紹介したいと思います。
皆さん、ご存知かも知れませんが、
緑茶
烏龍茶
ほうじ茶
紅茶…etc
大体の〝茶〟と言う飲み物は、全て元は同じ植物、〝茶の木〟の葉です。
それが育つ場所や環境で、葉が大きくかったり小さかったり、品種の違いが生まれ、更にその収穫時期や製造方法(発酵や燻しなど)により様々なお茶が出来上がります。
茶の発祥は中国。その誕生については有史以前のこと諸説あり、長くなるのでまた別の機会に書くことにしますが、ヨーロッパにもたらされのは17世紀のこと。当時の貿易大国、オランダによって中国から伝えられたと言います。
その後1662年、現在の紅茶大国イギリスに、ポルトガルからキャサリン王妃が嫁ぎ、紅茶好きの彼女の贅沢なお茶会は一躍有名になり貴族社会を中心に大流行します。
その頃、貴族や文化人たちの社交の場として栄えていたコーヒーハウスというものがありました。いわば、酒の代わりに、コーヒーやチョコレートドリンクを出す〝バー〟。もしくはフランスの〝カフェ〟の様な場所で、そこで紅茶が出されはじめます。17世紀も中頃になると、このコーヒーハウスは一般人にも門戸を開き大衆化、紅茶は一般市民の間でも広く楽しまれる様になります。
17世紀後半から19世紀の初頭まで、イギリスの東インド貿易会社はお茶の輸入を独占することになりますが、このお茶の流行はイギリスの経済的発展の元になったとさえ言われています。
さて…今回のテーマであった「ミルクティー」ですが。
この飲み方を始めたのもイギリス人です。
今でこそ、スーパーでも安価で美味しい紅茶が買えますし、簡単にティーパックで淹れることもできます。紅茶愛好家の方には、やっぱり茶葉から淹れなくては!などと言われてしまうかも知れませんが、ティーパックでも上手に淹れれば、ヨーロッパに普及し始めた紅茶と比べると随分と美味しいものを頂くことができるでしょう。
と言うのも、ヨーロッパに入ってきたばかりのお茶は、紅茶と言うよりは、どちらかと言うと日本茶に近い発酵の浅いものでした。またこのお茶は発酵が浅いだけでなく、金に目の眩んだ商人たちによって劣悪な状態の物が多かったそうで、安価なものには不純物が混ざっていたりもしました。加えて、一般市民向けのティーサロンではお茶の淹れ方も雑であり、現在の様なゴールデンルールは存在せず、薄く不味いお茶を出していたりもしたそうです。
それでも人々は流行のお茶をありがたく頂き、ティーサロンに集う事を一つのステータスとしました。そのなかで、この劣悪な紅茶を少しでも美味しく飲もうとして生まれた飲み方が〝ミルクティー〟。大好きな紅茶の飲み方がまさかの驚きの誕生でした。
紅茶が今の様な色になったのは、長い貿易の過程で、消費者の好みに合わせて発酵を強めたからだとも言われます。また産業の発展と共に品質も安定、ヨーロッパのみならず、アジア各国やアメリカ大陸やでも気軽に楽しまれる様になりました。
文明の発展に感謝です!
さて、18世紀ヨーロッパの紅茶社会に思いを巡らすと、現代の消費者社会にも重なるところがありますね。実はそんなに美味しくないものも、世の中が、もてはやすから価値が生まれてくるのです。そこにあつまる人々は情報を味わいます。
なんて、そんな事を書いている私もどちらかと言うとミーハーな部類です…
情報に踊らされるのも悪くないでしょう、そこから新しく美味しいものが生まれるであれば。
A bientôt ;) !!
友人宅にて。お手製キャロットケーキとバナナケーキ、セントクリストファーのイングリッシュブレックファーストをミルクティーで