現役パティシエと学ぶ、お菓子の歴史

ヨーロッパを中心にお菓子の誕生から現在まで、その背景も一緒に学んでいきましょう。

「劣悪な紅茶 ミルクティー」 ① 茶

 

ご無沙汰しております!!

日常のバタバタで、すっかりサボりがちに…

 

重い腰をあげてなんとか一記事いってみましょう…!!

 

 

 

今回は少しお菓子から離れて、「紅茶」についてです。

 

 

 

皆さんはお菓子のお供には何を飲むでしょうか。

重厚でコクのあるバタークリームのお菓子には力強いコーヒを。

爽やかで繊細なムースのお菓子には華やかな紅茶を。

はたまた、濃厚なチョコレートケーキに更にカカオ感満点のショコラショーを合わせて楽しむというのも、某有名ショコラトリーのお勧めでもあります。

 

 

もちろん、一口にコーヒー、紅茶と言っても、その種類は様々でお菓子やその時々の気分に合わせると、その組み合わせは無限に考えられます。

コーヒーも紅茶も大好きな私ですが、(お茶をする、という行為そのものが好き)どちらかと言うと、私は紅茶派です。それも、しっかりと発酵された強めの、ミルクがよく会うお茶が好きです。

 

 

さて、今回はこの「紅茶」、特にミルクティーの小話を紹介したいと思います。

 

 

皆さん、ご存知かも知れませんが、

緑茶

烏龍茶

ほうじ茶

紅茶…etc

 

大体の〝茶〟と言う飲み物は、全て元は同じ植物、〝茶の木〟の葉です。

それが育つ場所や環境で、葉が大きくかったり小さかったり、品種の違いが生まれ、更にその収穫時期や製造方法(発酵や燻しなど)により様々なお茶が出来上がります。

 

 

茶の発祥は中国。その誕生については有史以前のこと諸説あり、長くなるのでまた別の機会に書くことにしますが、ヨーロッパにもたらされのは17世紀のこと。当時の貿易大国、オランダによって中国から伝えられたと言います。

その後1662年、現在の紅茶大国イギリスに、ポルトガルからキャサリン王妃が嫁ぎ、紅茶好きの彼女の贅沢なお茶会は一躍有名になり貴族社会を中心に大流行します。

その頃、貴族や文化人たちの社交の場として栄えていたコーヒーハウというものがありました。いわば、酒の代わりに、コーヒーやチョコレートドリンクを出す〝バー〟。もしくはフランスの〝カフェ〟の様な場所で、そこで紅茶が出されはじめます。17世紀も中頃になると、このコーヒーハウスは一般人にも門戸を開き大衆化、紅茶は一般市民の間でも広く楽しまれる様になります。

 

 

17世紀後半から19世紀の初頭まで、イギリスの東インド貿易会社はお茶の輸入を独占することになりますが、このお茶の流行はイギリスの経済的発展の元になったとさえ言われています。

 

 

 

さて…今回のテーマであった「ミルクティー」ですが。

この飲み方を始めたのもイギリス人です。

今でこそ、スーパーでも安価で美味しい紅茶が買えますし、簡単にティーパックで淹れることもできます。紅茶愛好家の方には、やっぱり茶葉から淹れなくては!などと言われてしまうかも知れませんが、ティーパックでも上手に淹れれば、ヨーロッパに普及し始めた紅茶と比べると随分と美味しいものを頂くことができるでしょう。

 

と言うのも、ヨーロッパに入ってきたばかりのお茶は、紅茶と言うよりは、どちらかと言うと日本茶に近い発酵の浅いものでした。またこのお茶は発酵が浅いだけでなく、金に目の眩んだ商人たちによって劣悪な状態の物が多かったそうで、安価なものには不純物が混ざっていたりもしました。加えて、一般市民向けのティーサロンではお茶の淹れ方も雑であり、現在の様なゴールデンルールは存在せず、薄く不味いお茶を出していたりもしたそうです。

それでも人々は流行のお茶をありがたく頂き、ティーサロンに集う事を一つのステータスとしました。そのなかで、この劣悪な紅茶を少しでも美味しく飲もうとして生まれた飲み方が〝ミルクティー〟。大好きな紅茶の飲み方がまさかの驚きの誕生でした。

 

紅茶が今の様な色になったのは、長い貿易の過程で、消費者の好みに合わせて発酵を強めたからだとも言われます。また産業の発展と共に品質も安定、ヨーロッパのみならず、アジア各国やアメリカ大陸やでも気軽に楽しまれる様になりました。

文明の発展に感謝です!

 

 

さて、18世紀ヨーロッパの紅茶社会に思いを巡らすと、現代の消費者社会にも重なるところがありますね。実はそんなに美味しくないものも、世の中が、もてはやすから価値が生まれてくるのです。そこにあつまる人々は情報を味わいます。

 

 

なんて、そんな事を書いている私もどちらかと言うとミーハーな部類です…

情報に踊らされるのも悪くないでしょう、そこから新しく美味しいものが生まれるであれば。

 

 

A bientôt ;) !! 

 

 

友人宅にて。お手製キャロットケーキとバナナケーキ、セントクリストファーのイングリッシュブレックファーストをミルクティーで

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「古典菓子」 ①

 

お菓子史でフランス菓子が急速に進化したのは18世紀後半、かの有名なフランス革命以降でした。

革命でフランスの王朝は崩壊、宮廷に仕えていた料理人や菓子職人たちは職を失い城から放り出されます。
トップレベルの技術を持った彼らは生きていく為に自らのお店を建てることになり、今まで王侯貴族にのみ許されたお菓子や料理たちは、未だ混沌とした革命後の社会の中で初めは富裕層を中心にゆっくりと、そしてナポレオンの帝政以降は急速に、民衆の間に広がっていきます。

この時代に先のブログでも紹介したように、アントナン・カレームが生き、ユルバン・デュボワやオーギュスト・エスコフィエなど、料理界の革命者達が続きます。
彼らについても詳しくは追い追い書いていこうと思います。

 

さて、お菓子だけにスポットを当てましょう。

当然ながらお菓子屋さんが増えると、そこからは生き残り合戦です。店対店の競争の中で、さらにお菓子は進化し、様々なお菓子が生み出されます。今もお菓子屋さんのショーケースを賑わせている殆どのお菓子は、この時代に生まれたと言っても過言ではありません。


シブーストやエクレール、ポワールブルダルーにミルフィユなど、全てこの時代に生まれたお菓子です。そして実はよく知っているこれらのお菓子は“古典菓子”に分類されます。

フランス伝統菓子を日本に広めた第一人者、東京 尾山台のパティスリー“オーボンヴュータン”のシェフ、河田 勝彦氏、曰く、

《“伝統”と“古典”では、まったく意味が違うということ。お菓子で言う“古典”や“クラシック”というのは、現在のお菓子の基礎となっている“エスコフィエの時代”を指す事が多い…… (中略) 必然的に生まれた伝統菓子は、実際には粗野なものも多いですし、その土地によって組合せるフルーツやナッツなどが変わることもある。それから、ヨーロッパは陸続きなので、文化の流れも影響してきます。例えば、“クラフティ”が、ブルターニュ地方で“ファーブルトン”になるというように。自然発生的に生まれ、伝わり、広まる。これが伝統菓子です》
出典:panaderia インタビュー http://www.panaderia.co.jp/

 

長い長いお菓子史で考えると古典菓子すら新しく思えるので、私はこれらが“クラシック”に分類されると言うことを理解するのに少し時間がかかりました…


ともあれ、私はいよいよここからが近代お菓子史の幕開けだと思います!

 次はこの時代のお菓子について書きたいと思います。

 

 

 

パティスリーオーボンヴュータンのエンブレム

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「オークウッド」 pâtisserie ①

 

今日は少しショコラシリーズをお休みして、先日お邪魔させて頂いた、パティスリーについて少し食レポしたいと思います。

 

 

埼玉県春日部のパティスリー、菓子工房「オークウッド」です。

元同僚のパティシエと伺ったのですが、その同僚がオークウッドに知り合いのパティシエがいるということで、連れ立ってお邪魔させて頂きました。

春日部駅から歩くこと約15分、住宅街の中に沢山の緑に囲まれた可愛らしいオレンジのお家を発見。

近づくと、可愛らしい看板がお出迎えしてくれます。

 

 

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シェフはデセールや、パスティヤージュ(粉糖とコーンスターチをゼラチンで固めた砂糖細工)の日本における第一人者として有名な「横田秀夫」シェフ。数々のコンクールで受賞歴がある他、お菓子の世界大会、クープドモンドの国際審査員の経験もある方です。なんと、お忙しいはずなのにわざわざ出ていらしてご挨拶下さいました。丁寧で物腰柔らかな素敵な方でした。

魅力的なシェフに加え、いたるところにいる木彫りのリスと、カントリー調の可愛らしい店内に癒されながら早速注文。

 

そして一つ目に頂いたのがこちら

 

“苺パフェ” 

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ホワイトチョコレートのクリームの中にはアニスを効かせた苺のソルベ、その下にライムのクリームが忍ばされ、これがまた凍っているとも溶けているともいえない絶妙な状態。ライムの辛さが、全体的に甘めなパフェの印象をキリリと、しかも後口まろやかに引き締めていました。

 

 

続いてケーキをふたつ。

(食べ過ぎに思われるかもしれませんが、パティシエの食べ歩きではいたって普通の量です。しかもこの日は、オークウッドの前に巣鴨のヨシノリアサミのパフェも頂いていました…勉強勉強!と自分たちに言い聞かせます;)

 

 “宇治”と“パンプキンロール”

 

 

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どちらも素材の味が際立つ控え目な甘さで美味しかったです。

生地もクリームも軽めで安心感のある、日本人の舌によく合うケーキだったと思います。

 

フランス語でケーキを意味する“ガトー”ではなく日本における“ケーキ”。

お店の名前も、”パティスリー”ではなく“菓子工房”。まさにそのイメージでした。

 

閉店間際でもケーキを切らさず、ちゃんと選べるようにしておく。お客様をわくわくさせてそれを裏切らない。

 

このシェフの思いが詰まっているということが、お店が長年愛される訳なのでした。

都内にお住いの方も、ぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

 

 

そして最後に今回の食レポをまとめるとすると、私はどっしりと重厚なフランス菓子が好きですが、外国から伝わったお菓子が、日本人の口に合うように進化した洋菓子も大好きです。

ぱふぱふの皮のシュークリームや、上品な甘さの和栗のモンブラン、ふわふわジェノワーズと生クリームのショートケーキ。どれもフランスに行って食べられなくなるかと思うと寂しくなります。

今のうちに頂いておきましょう!!

 

 

さて次回は、お菓子の歴史に戻ります。

 

 

 

「ガレットブレッサンヌ」 ②

 

以前ブログで紹介した《ガレット・ブレッサンヌ》

 

 

 

吉祥寺のパティスリー、レピキュリアンで見つけました。

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小ぶりでしたが、しっとりとしたブリオッシュ生地にクリームのコク、グラニュー糖のジャリジャリ感がなんとも言えない美味しさでした!

 

 

ガレット・ブレッサンヌの他にも、カヌレ・ド・ボルドーや、スフォリアテッレなど、クラシックなお菓子が沢山置いてある他、生菓子やボンボンショコラも美しく並べられ、素敵なお店でした。

混雑していたので座れませんでしたが、イートインスペースもあります。

 

 

 

吉祥寺にお立ち寄りの際は、ぜひフランスの空気を味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

"ファーフリュイセックとコンベルサスィオン”

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「ショコラのヨーロッパ伝来」 ⑤

 

ショコラ 、ヨーロッパ伝来!

 

今回のテーマです。

前回の記事で書いたように、ヨーロッパにショコラを持ち込んだのはスペインですが、フランスにはどのように伝わったのでしょう。

 

ショコラをフランスに持ち込んだのは、1615年にスペイン王室からルイ13世に嫁いだ、アンヌ・ドートリッシュだと言われています。
アンヌ王妃とその取り巻きの婦人達だけでなく、同行したスペインの修道士達がフランスの同僚にも配り、その普及に一役買ったそうです。

その後、有名な「太陽王」のルイ14世にもマリー・テレーズ・ドートリッシュが嫁ぎ、この二代続いてのスペインからの輿入れは、フランス王室にショコラを浸透させることになります。

 

なんと、コーヒーがまだ珍しくなかなか手に入らなかったので、ショコラの方が多く飲まれていた程だそうです。

フランス伝来当初のショコラは胃腸の調子を整えるをはじめとして、様々な効能のある《薬》でありながら、まだ現在の様な固形ではなく、水に溶かして飲むホットチョコレートで、砂糖が加えられ、既に美味しい飲みものでもありました。

 

スペインから嫁いだ王妃2人。

始めは良く思われた結婚生活も、早々と冷え切ってしまいます。

異国に嫁いだ寂しさを紛らわすために、ショコラに癒しを求めていたのかも知れません…

 

 

さて、次回はショコラのお菓子としての進化に迫りたいと思います…!

 

 

 

 

 

「伝説とショコラの神様」  ④

 

 “ケツァルコアトル

 

 

突然ですが、今回のテーマです。

ここでは、RPGゲームに出てくるモンスターの事ではありません。

 

ケツァルコアトルはアステカの神様で、自然、大気、水、火、音楽、詩の神として、アステカの人々に愛されていました。

かなり色々なもの、ほとんど万物の神といって良いですね。

 

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“出典:Wikipedia ケツァルコアトル ”

 

その姿はしばしば、戦士のような人型や、羽をはやしたドラゴンのような姿で描かれています。

では、いったいこのケツァルコアトルがどうショコラと関係があるのでしょうか。

 

ショコラの誕生に関する文献を読んでいると、

なんとこのオールマイティな神様は天上界の庭師でもあり、カカオの原木を生み出した張本人(神?)であるとありました。

 

その為にのちに、カカオの木にテオブロマ~神の食べ物~という学名が付くことになるのです。

 

 

スペインからコルテス軍が上陸したとき、アステカ王はじめ、その国民たちは、自分たちの神が戻ってきたのだと、熱狂的に迎えたそうです。その後、沢山の血が流れ、文明が滅びることになろうとは露とも思わずに・・・

 

カカオに限ったことではありませんが、食材の普及の背景には、争いがあることも多いですね。今美味しいチョコレートが気軽に手に入るのは、本当に幸せなことです!!

そんな思いで私は、高級ボンボンショコラもチロルチョコも美味しくいただいています。どちらも大好きです・・・!

 

 

さて次回、ショコラの歴史は舞台をヨーロッパに移していこうと思います。

 

 

 

「ショコラの誕生」   ③

 

ショコラの歴史についてです。

チョコレート好きの方ならご存知の方も多いかもしれません。

 

カカオの木の原産地は中央アメリカ大陸とされ、紀元前2000年頃から栽培は始まりました。

先住民族、現メキシコのアステカ文明では、カカオを炒って砕き、お湯に溶かして、まるでコーヒーの様にチョコレートを飲んでいました。

1737年にスウェーデン博物学者カール・フォン・リンネが学名をテオブロマ~theobroma(ギリシアラテン語神の食べ物)とつけたように、アステカの人々にとってカカオの木は、神が育てた木であり、その木からできたこの魔法の飲み物には催淫性があると信じられていました。その為、貴族間で嗜好品として珍重されるほか、戦いに出る前の兵士たちの精力剤として使われていたといいます。

 

チョコレート飲料といえば、現代ではココアやショコラショーなどを想像しますが、当時は、このカカオ豆製コーヒーのような飲み物に、蜂蜜やバニラだけでなく、麝香や唐辛子、ときにはトウモロコシの粉などを混ぜていたというから驚きです。

 

また、1519年にアステカを侵略した、スペイン人のコルテス軍も、ワインを切らしていたため、これを飲んだといいます。そしてもちろん、コルテスがヨーロッパにチョコレートを持ち帰りました。少し意外に思うかもしれませんが、ヨーロッパにおけるチョコレートの先駆者はスペイン人なのです。今でもスペインには有名なショコラトリーがいくつかありますね。表参道や丸の内に店舗を構える“カカオサンパカ”や、最近では“ブボ”がこれまた表参道に上陸し、話題になっています。

 

 

ショコラの歴史は書くと長くなってしまうので、すこしずつ更新していきたいと思います・・・

気長にお付き合いください。

 

 

パリの“メゾン・ジョルジュ・ラル二コル” 

ショコラでできたノートルダム大聖堂

 

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