「ショコラの誕生」 ③
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ショコラの歴史についてです。
チョコレート好きの方ならご存知の方も多いかもしれません。
カカオの木の原産地は中央アメリカ大陸とされ、紀元前2000年頃から栽培は始まりました。
先住民族、現メキシコのアステカ文明では、カカオを炒って砕き、お湯に溶かして、まるでコーヒーの様にチョコレートを飲んでいました。
1737年にスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネが学名をテオブロマ~theobroma(ギリシア・ラテン語で神の食べ物)とつけたように、アステカの人々にとってカカオの木は、神が育てた木であり、その木からできたこの魔法の飲み物には催淫性があると信じられていました。その為、貴族間で嗜好品として珍重されるほか、戦いに出る前の兵士たちの精力剤として使われていたといいます。
チョコレート飲料といえば、現代ではココアやショコラショーなどを想像しますが、当時は、このカカオ豆製コーヒーのような飲み物に、蜂蜜やバニラだけでなく、麝香や唐辛子、ときにはトウモロコシの粉などを混ぜていたというから驚きです。
また、1519年にアステカを侵略した、スペイン人のコルテス軍も、ワインを切らしていたため、これを飲んだといいます。そしてもちろん、コルテスがヨーロッパにチョコレートを持ち帰りました。少し意外に思うかもしれませんが、ヨーロッパにおけるチョコレートの先駆者はスペイン人なのです。今でもスペインには有名なショコラトリーがいくつかありますね。表参道や丸の内に店舗を構える“カカオサンパカ”や、最近では“ブボ”がこれまた表参道に上陸し、話題になっています。
ショコラの歴史は書くと長くなってしまうので、すこしずつ更新していきたいと思います・・・
気長にお付き合いください。
パリの“メゾン・ジョルジュ・ラル二コル”
ショコラでできたノートルダム大聖堂
「ショコラ」 ②
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サロンデュショコラに行って参りました!
平日の午後14時ごろではありましたが、やはり行列は当たり前で、入場までに30分ほど並びました。
しかしさすが国際フォーラム。今までの会場とは違い、各店舗のブースのスペースの取り方も比較的ゆっったりとしており、余裕をもって見て回ることができました。
有名シェフも沢山お見掛けしました
また開催3日目ですでに、ジャンポール・エヴァンやヴァンサン・ゲレルなど、売り切れ商品の多いお店もありました。
こちらが私の戦利品です。
左上から時計回りに、パリのユーゴ&ヴィクトールのSDC限定詰め合わせ。シェフの出身の南仏のフレーバーを取り入れた、カカオの味を楽しむ為のセレクションでした。同じくパリのMOFでルレデセール会員のパティシエ、ローラン・デュシェーヌ(奥様は日本人パティシエ)の詰め合わせ。これは流石日本限定の味を用意して、北海道の蕎麦の実と高知県産の柚子を使用していました。そして都内にも店舗を構えるベルギーのショコラティエ、ピエールマルコリーニのバレンタイン限定詰め合わせです。ベルギーのショコラとあって、ムール(型)を使った可愛らしいショコラが魅力的でした。
どれもとても綺麗でまさに宝石箱!箱を開けただけでショコラの香りが堪りません! 温かいコーヒーをいれて、一粒ずつゆっくり頂こうと思います!!
今でこそ、この様な美しい姿のショコラですが、ほんの4世紀前ほどまでは、固形ですらなく、ほぼ飲み物でした。
次回はショコラがどの様に美しい進化を遂げたのか、その歴史について書こうと思います。
お楽しみに…!
「ショコラ」 ①
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2月はこのテーマで間違いないでしょう!
「ショコラ」
今や国民的行事、来たるバレンタインデーに加え、東京では2月1日~5日(日)まで
“サロンデュショコラ”
が開催されています。
フランス発のこのショコラの祭典では、国内の有名店をはじめ、普段日本で購入することのできない海外のチョコレートを手に入れることができます。
また、このために来日した世界のトップショコラティエたちを間近に見ることが出来る事もあって、都内のみならず県外からもショコラファンが詰めかけます。
年々勢いを増すサロンデュショコラ、日本では新宿の伊勢丹から始まったこのイベントも、今年の会場は東京国際フォーラムです。
私は明日参戦予定!!
また写真をあげますのでお楽しみに!
こちらは昨年のサロンデュショコラ
ショコラ界の貴公子 “ジャンポール・エヴァン” のディスプレイ
「ガレット・デ・ロワ」 ①
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自称お菓子好きを名乗る者ならば、知らない者はいないだろう!
それくらい、今や日本でも浸透しているお菓子ですね。
以前、パティシエが選ぶパティスリーで一位に輝いた事もある有名店です。
しっかりとした焼き色と美しいsoleil(太陽)の模様が堂々とした風格です。
念の為このお菓子の説明をしておくと、サクサクのパイ生地の中にはアーモンドクリームが入っており、陶器で出来た小さな人形が一つ埋め込まれているといったものです。
家族でガレットデロワを囲み、切り分けたパイの中にフェーブを引き当てた人は、紙で出来た王冠をかぶり、その日一日、王様になります。
パイの中身や、ガレットデロワの食べ方の細かいルールは、地方や家庭などによって違いがあり、近年では丸ではなく四角いガレットや、ショコラや抹茶、フルーツの入った物など、どんどんと進化をしていて様々です。
ではこのガレットデロワ、なぜ新年に食べられているかと言うと、それはキリスト教の伝統で、1月6日(もしくは、その次の日曜日)、エピファニーEpiphany(公現節)を祝う為です。
エピファニーとは、キリストの栄光が公に世に現れたとされる日で、詳しく説明すると、東方の偉大な知識人が三人が、「今度お生まれになった、ユダヤ人の王はどこにおられるか。われわれはそのお方の星が出るのをみたので、おがみにまいった。」とわざわざ訪ねてきたり、ただの水をワインに変える奇跡を起こしたり(カナにおける最初の奇跡)と、その只者ではない能力が公になったと日と言うことです。
そして、ガレットデロワがどう関係しているかと言うと、古くからあったローマ人の太陽信仰が受け継がれ、太陽をかたどった、円盤形や王冠の形をしたお菓子が、そのお祝いに食べられるようになったのが始まりです。
今でこそ、折り込みパイ生地(フィユタージュ)で作られるガレットデロワですが、ある文献では、中世にはブリオッシュの発酵生地が使われ、今でもフランスの南半分の地方ではこの伝統が守られているとありました。
しかし、実際にフランスで修業したパティシエに聞くと、北フランスでもそれを見かけたという話や、ブリオッシュタイプとフィユタージュタイプ、両方がお店に並んでいたなどという証言もあります。これはいつか、実際にフランスのパティスリーに足を運んで確認してみなければなりません!
地方によって様々な名前や種類があるブリオッシュ生地のガトーデロワ。しかし元々の役割はガレットデロワと同じであると思われます。
ガトーデロワは私の中で確かに少し古いイメージのあるお菓子で、なかなか日本では見かけませんし、まだ食べたことがありません。どこか買えるお店をご存知の方がいれば、情報をお待ちしております!
「カニストレリ」 焼き菓子
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カニストレリ
最近初めて知ったお菓子です。
なんでも地中海、コルシカ島のお菓子だそうです。バターは使用しておらず、さすが南仏、代わりにオリーブオイルを使用しています。
その為、ちんすこうのような少し硬めの歯応えがあり(ちんすこうはラードを使用)砂糖をまぶして焼き上げる為、どこかメロンパンの表面を思い出させる食感でした。
そしてもう一つ大きな特徴は、レモンの皮が入っているところでした。コルシカ島では、レモンや、それに似た柑橘類の“セドラ”などが取れ、揚げ菓子などにもその皮やコンフィなどがよく使われます。
袋を開けた瞬間、ふわっと香るオリーブとレモン。
購入したのは私の地元、高知県のパティスリー、「NEGRITAネグリタ」さんです。
子どもの頃は、pâtisserie française なんて高知にはなかったので驚きました。サントノーレやフォレノワールなど、クラシックなケーキも置いてあります。飛行機に乗らなくても、フランスのお味が身近なところで楽しめると言うのは、とても嬉しい事です。
もし、高知県を旅行される方がいれば是非、訪れてみて下さい…
パティスリーネグリタの“サントノーレキャラメル”
「ビスキュイ」 ②
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明けましておめでとうございます!
今年も途切れ途切れながら、このブログをアップし続ける事を一つの目標にしていきたいと思います!どうぞよろしくお願い致します。
少し日が空いてしまいましたが、前回の続きです。
クリスマスやお正月、皆さん、どのようなお菓子やケーキを食べたのでしょうか。
クリスマス前、輸入食料品店カルディコーヒーで購入したデンマーク産のビスケット缶。
綺麗なパッケージに惹かれて300、400円くらいだったでしょうか?ついつい購入してしまいました。
またお正月、帰省する際の手土産に大好きなパティスリーRyouraの缶入りサブレアソルティを購入しました。
優しいカラーのロゴが可愛いらしい缶々です。
今回のテーマはこのビスケットを入れている缶についてです。
人々がビスケットをこの様な缶に入れ始めたのは19世紀初めの頃。ギフト缶を初めに販売したのは、イギリスのHuntley & Palmersと言う会社だそうです。18世紀半ばからイギリスで起こった産業革命により、ビスケットにも大量生産化が起こり、その物流の為に使用していた大きな缶を、次第に小型化、そして販売向けに装飾を施したのが始まりでした。
ビスケットが大々的に商品として販売され、何処でも手に入るようになるまでは、どの家庭でも当たり前のように、特に母親がその家オリジナルのレシピでビスケットを焼いていたものでした。またそれは娘にも受け継がれ、美味しいビスケットが焼けると言うことは一つ結婚しゆく女性の必須条件の様なところがあったようです。そうして焼かれたビスケットは缶ができるまでは、樽などに入れて保存されていました。
また悲しい話ではありますが、1914年、第一次世界大戦が始まると、当然の事ながら民衆の食生活は圧迫されるようになりました。特に卵やバター、砂糖など、贅沢なものはなかなか手に入らなくなります。そんな中、女性達は、戦場に赴く夫や息子に、なんとか甘いものを食べさせてやりたいと願い、ある材料で工夫しながらビスケットを焼き、缶に入れて手紙と共に戦場へ送ったと言われています。
今は何処でもいつでも手に入るビスケット缶。いつの間にか空缶が増えて処分するしかなくなってしまうのですが、こんな風に少しだけ、歴史に想いを馳せながら選んでみれば、お気に入りの愛着が湧くビスケット缶に出会えるのでは無いでしょうか。そして大切な人にプレゼントしてみてはいかがでしょう…
「ビスキュイ」 ①
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ビスキュイについてです。
この言葉は、16世紀までさかのぼると、元々“bescuit” =二度焼く と言う言葉で使われていました。
最初は、貧しい人々や巡礼に配る為に修道院が作っていた二度焼きしたパンの事でした。
そのうち、小さくて丸い、両面を焼いて石のように硬くて、日持ちのする焼き菓子を考えつきます。これは現代のビスコット、“ラスク”の先祖で、兵士や長旅に出る人の必需品でした。
ですが17世紀ごろから、パウンドケーキやスポンジケーキの様な物もビスキュイと呼ばれるようになりました。理由は分かりません…
確かに現代でもお菓子業界では、ケーキのパーツであるしっとりとしたスポンジ生地を、ビスキュイと呼ぶ事が多いと思います。けれどもまた、元々の意味のように、完全に乾いた“フールセック”、サブレ、ビスケットと呼ばれる物たちもまた「ビスキュイ」であることは確かなのです。
こちらはフランス土産のビスケット缶です!
左上に“Biscuitier”=ビスキュイ職人 と書いてあります。柄が可愛くて、中身がなくなった今もお茶の葉入れとして使っています…
可愛い柄が多いビスケット缶。
私の様に捨てられず、集めている方もいるのではないでしょうか。
次回はこのビスケット缶にまつわるお話を書きたいと思います。