現役パティシエと学ぶ、お菓子の歴史

ヨーロッパを中心にお菓子の誕生から現在まで、その背景も一緒に学んでいきましょう。

「古典菓子」 ①

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お菓子史でフランス菓子が急速に進化したのは18世紀後半、かの有名なフランス革命以降でした。

革命でフランスの王朝は崩壊、宮廷に仕えていた料理人や菓子職人たちは職を失い城から放り出されます。
トップレベルの技術を持った彼らは生きていく為に自らのお店を建てることになり、今まで王侯貴族にのみ許されたお菓子や料理たちは、未だ混沌とした革命後の社会の中で初めは富裕層を中心にゆっくりと、そしてナポレオンの帝政以降は急速に、民衆の間に広がっていきます。

この時代に先のブログでも紹介したように、アントナン・カレームが生き、ユルバン・デュボワやオーギュスト・エスコフィエなど、料理界の革命者達が続きます。
彼らについても詳しくは追い追い書いていこうと思います。

 

さて、お菓子だけにスポットを当てましょう。

当然ながらお菓子屋さんが増えると、そこからは生き残り合戦です。店対店の競争の中で、さらにお菓子は進化し、様々なお菓子が生み出されます。今もお菓子屋さんのショーケースを賑わせている殆どのお菓子は、この時代に生まれたと言っても過言ではありません。


シブーストやエクレール、ポワールブルダルーにミルフィユなど、全てこの時代に生まれたお菓子です。そして実はよく知っているこれらのお菓子は“古典菓子”に分類されます。

フランス伝統菓子を日本に広めた第一人者、東京 尾山台のパティスリー“オーボンヴュータン”のシェフ、河田 勝彦氏、曰く、

《“伝統”と“古典”では、まったく意味が違うということ。お菓子で言う“古典”や“クラシック”というのは、現在のお菓子の基礎となっている“エスコフィエの時代”を指す事が多い…… (中略) 必然的に生まれた伝統菓子は、実際には粗野なものも多いですし、その土地によって組合せるフルーツやナッツなどが変わることもある。それから、ヨーロッパは陸続きなので、文化の流れも影響してきます。例えば、“クラフティ”が、ブルターニュ地方で“ファーブルトン”になるというように。自然発生的に生まれ、伝わり、広まる。これが伝統菓子です》
出典:panaderia インタビュー http://www.panaderia.co.jp/

 

長い長いお菓子史で考えると古典菓子すら新しく思えるので、私はこれらが“クラシック”に分類されると言うことを理解するのに少し時間がかかりました…


ともあれ、私はいよいよここからが近代お菓子史の幕開けだと思います!

 次はこの時代のお菓子について書きたいと思います。

 

 

 

パティスリーオーボンヴュータンのエンブレム

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「ガレットブレッサンヌ」 ②

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以前ブログで紹介した《ガレット・ブレッサンヌ》

 

 

 

吉祥寺のパティスリー、レピキュリアンで見つけました。

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小ぶりでしたが、しっとりとしたブリオッシュ生地にクリームのコク、グラニュー糖のジャリジャリ感がなんとも言えない美味しさでした!

 

 

ガレット・ブレッサンヌの他にも、カヌレ・ド・ボルドーや、スフォリアテッレなど、クラシックなお菓子が沢山置いてある他、生菓子やボンボンショコラも美しく並べられ、素敵なお店でした。

混雑していたので座れませんでしたが、イートインスペースもあります。

 

 

 

吉祥寺にお立ち寄りの際は、ぜひフランスの空気を味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

"ファーフリュイセックとコンベルサスィオン”

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「ショコラのヨーロッパ伝来」 ⑤

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ショコラ 、ヨーロッパ伝来!

 

今回のテーマです。

前回の記事で書いたように、ヨーロッパにショコラを持ち込んだのはスペインですが、フランスにはどのように伝わったのでしょう。

 

ショコラをフランスに持ち込んだのは、1615年にスペイン王室からルイ13世に嫁いだ、アンヌ・ドートリッシュだと言われています。
アンヌ王妃とその取り巻きの婦人達だけでなく、同行したスペインの修道士達がフランスの同僚にも配り、その普及に一役買ったそうです。

その後、有名な「太陽王」のルイ14世にもマリー・テレーズ・ドートリッシュが嫁ぎ、この二代続いてのスペインからの輿入れは、フランス王室にショコラを浸透させることになります。

 

なんと、コーヒーがまだ珍しくなかなか手に入らなかったので、ショコラの方が多く飲まれていた程だそうです。

フランス伝来当初のショコラは胃腸の調子を整えるをはじめとして、様々な効能のある《薬》でありながら、まだ現在の様な固形ではなく、水に溶かして飲むホットチョコレートで、砂糖が加えられ、既に美味しい飲みものでもありました。

 

スペインから嫁いだ王妃2人。

始めは良く思われた結婚生活も、早々と冷え切ってしまいます。

異国に嫁いだ寂しさを紛らわすために、ショコラに癒しを求めていたのかも知れません…

 

 

さて、次回はショコラのお菓子としての進化に迫りたいと思います…!

 

 

 

 

 

「伝説とショコラの神様」  ④

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 “ケツァルコアトル

 

 

突然ですが、今回のテーマです。

ここでは、RPGゲームに出てくるモンスターの事ではありません。

 

ケツァルコアトルはアステカの神様で、自然、大気、水、火、音楽、詩の神として、アステカの人々に愛されていました。

かなり色々なもの、ほとんど万物の神といって良いですね。

 

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“出典:Wikipedia ケツァルコアトル ”

 

その姿はしばしば、戦士のような人型や、羽をはやしたドラゴンのような姿で描かれています。

では、いったいこのケツァルコアトルがどうショコラと関係があるのでしょうか。

 

ショコラの誕生に関する文献を読んでいると、

なんとこのオールマイティな神様は天上界の庭師でもあり、カカオの原木を生み出した張本人(神?)であるとありました。

 

その為にのちに、カカオの木にテオブロマ~神の食べ物~という学名が付くことになるのです。

 

 

スペインからコルテス軍が上陸したとき、アステカ王はじめ、その国民たちは、自分たちの神が戻ってきたのだと、熱狂的に迎えたそうです。その後、沢山の血が流れ、文明が滅びることになろうとは露とも思わずに・・・

 

カカオに限ったことではありませんが、食材の普及の背景には、争いがあることも多いですね。今美味しいチョコレートが気軽に手に入るのは、本当に幸せなことです!!

そんな思いで私は、高級ボンボンショコラもチロルチョコも美味しくいただいています。どちらも大好きです・・・!

 

 

さて次回、ショコラの歴史は舞台をヨーロッパに移していこうと思います。

 

 

 

「ショコラの誕生」   ③

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ショコラの歴史についてです。

チョコレート好きの方ならご存知の方も多いかもしれません。

 

カカオの木の原産地は中央アメリカ大陸とされ、紀元前2000年頃から栽培は始まりました。

先住民族、現メキシコのアステカ文明では、カカオを炒って砕き、お湯に溶かして、まるでコーヒーの様にチョコレートを飲んでいました。

1737年にスウェーデン博物学者カール・フォン・リンネが学名をテオブロマ~theobroma(ギリシアラテン語神の食べ物)とつけたように、アステカの人々にとってカカオの木は、神が育てた木であり、その木からできたこの魔法の飲み物には催淫性があると信じられていました。その為、貴族間で嗜好品として珍重されるほか、戦いに出る前の兵士たちの精力剤として使われていたといいます。

 

チョコレート飲料といえば、現代ではココアやショコラショーなどを想像しますが、当時は、このカカオ豆製コーヒーのような飲み物に、蜂蜜やバニラだけでなく、麝香や唐辛子、ときにはトウモロコシの粉などを混ぜていたというから驚きです。

 

また、1519年にアステカを侵略した、スペイン人のコルテス軍も、ワインを切らしていたため、これを飲んだといいます。そしてもちろん、コルテスがヨーロッパにチョコレートを持ち帰りました。少し意外に思うかもしれませんが、ヨーロッパにおけるチョコレートの先駆者はスペイン人なのです。今でもスペインには有名なショコラトリーがいくつかありますね。表参道や丸の内に店舗を構える“カカオサンパカ”や、最近では“ブボ”がこれまた表参道に上陸し、話題になっています。

 

 

ショコラの歴史は書くと長くなってしまうので、すこしずつ更新していきたいと思います・・・

気長にお付き合いください。

 

 

パリの“メゾン・ジョルジュ・ラル二コル” 

ショコラでできたノートルダム大聖堂

 

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「ショコラ」    ②

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サロンデュショコラに行って参りました!

 

平日の午後14時ごろではありましたが、やはり行列は当たり前で、入場までに30分ほど並びました。

しかしさすが国際フォーラム。今までの会場とは違い、各店舗のブースのスペースの取り方も比較的ゆっったりとしており、余裕をもって見て回ることができました。

 

有名シェフも沢山お見掛けしました

 

また開催3日目ですでに、ジャンポール・エヴァンやヴァンサン・ゲレルなど、売り切れ商品の多いお店もありました。

 

こちらが私の戦利品です。

 

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 左上から時計回りに、パリのユーゴ&ヴィクトールのSDC限定詰め合わせ。シェフの出身の南仏のフレーバーを取り入れた、カカオの味を楽しむ為のセレクションでした。同じくパリのMOFでルレデセール会員のパティシエ、ローラン・デュシェーヌ(奥様は日本人パティシエ)の詰め合わせ。これは流石日本限定の味を用意して、北海道の蕎麦の実と高知県産の柚子を使用していました。そして都内にも店舗を構えるベルギーのショコラティエ、ピエールマルコリーニのバレンタイン限定詰め合わせです。ベルギーのショコラとあって、ムール(型)を使った可愛らしいショコラが魅力的でした。

 

どれもとても綺麗でまさに宝石箱!箱を開けただけでショコラの香りが堪りません! 温かいコーヒーをいれて、一粒ずつゆっくり頂こうと思います!!

 

今でこそ、この様な美しい姿のショコラですが、ほんの4世紀前ほどまでは、固形ですらなく、ほぼ飲み物でした。

次回はショコラがどの様に美しい進化を遂げたのか、その歴史について書こうと思います。

お楽しみに…!

 

 

 

 

「ショコラ」   ①

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2月はこのテーマで間違いないでしょう!

 

「ショコラ」

 

 

 今や国民的行事、来たるバレンタインデーに加え、東京では2月1日~5日(日)まで

 “サロンデュショコラ”

が開催されています。

 フランス発のこのショコラの祭典では、国内の有名店をはじめ、普段日本で購入することのできない海外のチョコレートを手に入れることができます。

 また、このために来日した世界のトップショコラティエたちを間近に見ることが出来る事もあって、都内のみならず県外からもショコラファンが詰めかけます。

 

 年々勢いを増すサロンデュショコラ、日本では新宿の伊勢丹から始まったこのイベントも、今年の会場は東京国際フォーラムです。

 私は明日参戦予定!!

 

また写真をあげますのでお楽しみに!

 

こちらは昨年のサロンデュショコラ

ショコラ界の貴公子 ジャンポール・エヴァン のディスプレイ

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いつもの材料をお得に購入(cotta)