現役パティシエと学ぶ、お菓子の歴史

ヨーロッパを中心にお菓子の誕生から現在まで、その背景も一緒に学んでいきましょう。

「ガレット・ブレッサンヌ」 発酵菓子 ①

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今日は「発酵菓子」についてです!

 

そして少し順番を変えて、先にお菓子を紹介しつつ、パンの元、酵母の誕生に迫っていきたいと思います。

やはりお菓子そのものが出てくると、書いている私も楽しいのです・・・

 

フランス菓子で発酵菓子といえば、まず始めに“ババ・オ・ロム”“サバラン”を思い浮かべる方が多いかとは思いますが、さて、こちら

 

 

 

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“ガレット・ブレッサンヌ” というお菓子、ご存知でしょうか?

この写真は、以前受けた伝統菓子の講習会のものです。

このお菓子は、フランスはリヨンの北、ブレス地方が発祥のお菓子です。

バターが入ったブリオッシュ生地の上に、クレーム・ドゥーブルという脂肪分の高い生クリームを塗って焼きます。生地が焼けるにつれて、溶けたクリームが浸み込み、なんとも言えないクリーミーなパンが焼けます。

写真のものはカシスの実をのせてアレンジしていますが、本来はシンプルなお菓子です。

日本ではクレーム・ドゥーブルが手に入りにくいので、クリームチーズと生クリームなどで代用することがあります。

 

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こちらは私が自宅で焼いたもの・・・

少し浮きすぎてしまったのと、クリームチーズに加える生の割合を増やせたら良かったかなと思いました・・・

 

日本のパティスリーではあまり見かけませんが、パン屋さんの方が置いているかもしれません。都内で有名なところであれば、“ジョエル・ロブション”のブーランジェリーで小ぶりな“ガレット・ブレッサンヌ”を買うことができます。

他にももし目撃された方がいれば、ぜひ教えていただきたいです。私の大好きなお菓子のひとつです。

 

では次回は酵母について・・・

 

「小麦粉」 ②

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 では前回の続き、「小麦粉」を使用したお菓子の誕生について

 

 

 私は小麦粉を使用したお菓子の誕生は

   “お菓子の誕生”

 とも言える出来事だと思っています。

 

 しかし、これを説明するのはとても難しいことです。

 なぜならこの事について考えようとすると二つの問題に行き当たるからです。

 まず、お菓子づくりに関する最初の記述が古すぎて伝説の範囲であるという事と、そもそもお菓子とは何か、という事です。これらの問題の答えは曖昧です。

 

 お菓子づくりに関して書かれた最初の記述は紀元前1000年頃、旧約聖書にあり、アブラハムが聖人をもてなす為に妻に「小麦粉をこねてパン菓子を作りなさい」と言っているものです。聖書の中の設定では、これは前2000年代のこととされていて、小麦粉以外の材料や作り方は分かりませんが何か日常のパンとは違う、贅沢なもの、“お菓子”だった事が分かります。

 では、“お菓子”とは何なのでしょうか。もちろん当時は、現在の様にキャラメルやチョコレート、クリームなども到底生まれていません。

 人が生きるために何かを食べ、生食が困難なものをなんとか加工し、パンを焼いたその後に、味が良くなるように、貴重な何か、例えば油分や糖分を少し加えて誕生したとっておきの食べ物、それが“お菓子”なのだと私は考えています。お菓子も元々は日常の食事だった、だからその境界線は今なお曖昧なのです。

 

 誕生したばかりの贅沢品は、主に神への供物品にされる他、婚礼の儀式などで食べられました。しかしそれはやはり、現代菓子とは比べ物にならない程に質素なものだった事でしょう。

 今でもお菓子が特別な食べ物であることは変わりませんが、私はお菓子は食事の中のひとつであるとよく考えます。なんでも美味しいものが手に入りやすくなった現代ですが、一方世界的な材料不足も言われています。

 お菓子の歴史を勉強することは、同時に、お菓子の今を考えると言うことではないのでしょうか・・・

 

 

 こちらはルーブル美術館の“古代のパン職人”

 

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「小麦粉」 ①

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 これまたお菓子作りに欠かせない材料の一つ、

 

「小麦粉」

 

 について学んでいきたいと思います!

 

 小麦粉といっても幅広く大変な種類があります。ひとつの記事にとても書ききる事はできませんし、まだまだ勉強したりないところですが、やはり始めはまずその誕生から、少しずつかじっていきたいと思います。

 

 周知のとおり、小麦粉は小麦を挽いて作られた穀粉ですが、その先祖をたどってみると、紀元前1万年以上前の旧石器時代からすでに中東やエジプトに野生に繁茂していたものに行き当たります。

 そして紀元前8000年頃、農耕が始まり、前3000年頃のエジプト文明では小麦を臼で挽いて製粉しパンを焼いていました。

 

 酵母については別の回に詳しく書こうと思いますが、パンの誕生は前4000年頃より前の話なので、巨大文明で臼が発明されるより以前は、岩などのくぼみで直に、地道に麦をすりつぶしていたと言います。

 また当初製粉されていたのは、より栽培が環境に合っていた大麦が中心でしたが、次第に小麦の加工のしやすさに気がついた人々は、小麦をメインに作るようになるのです。

 

 こうして、世界にお菓子の材料が出揃い始めるのですが、実際に小麦を使用したお菓子がどの様なものから始まったか、次回紹介していきたいと思います。

 

 

 こちらはパリで人気のブーランジェリー “デュ・パン・エ・デジデ”

 

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「pâtisserie」

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 今回は言葉 ‥‥

 

「pâtisserie」  パティスリー  

 

 この言葉の語源についてです。

 

 日本でも随分と定着しましたが、フランス語でお菓子屋さん(特に菓子職人、パティシエのいる)または、お菓子そのものを指す言葉です。

 

 この言葉の出現は1328年頃とされ、元々はpâte(小麦粉に牛乳や卵、または水などを合わせて練った生地)で作られる食品を指しました。

 しかし砂糖の回でも書いたとおり、当時はまだお菓子作りに砂糖を使用することは一般的ではありません。pâte職人、パティシエたちは、甘さを控えたパイ生地で果物だけでなく、肉や魚を包んで焼いていたのです。

 その仕事は菓子職人というよりはもはや、料理人(キュイジニエ)に近いものでした。

 

 そしてその後、砂糖商人や肉屋や酒屋、様々な食品の販売権争いののちに、ようやくパティスリーが“お菓子屋さん”としての成り立ったのは、15世紀末、1497年ごろでした。

 今から500年と少し前、現在とは違うお店のかたちや、pâtisserieに定められていた規則などについては、また別の機会に少し書ければと思います・・・

 

 

 こちらは、現存するパリ最古のパティスリー “ストレール”

 

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「メレンゲ」 

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 今回はお菓子としてのメレンゲの誕生について少し書きたいと思います。

 

 ウィキペディアによるとメレンゲは、

「卵(鶏卵)の卵白を泡立てた食材、およびそれを用いた菓子のこと。」

と書いてあります。また、その名前が確認できる最も古い文献は1692年のフランスの料理本であったともあります。

 またよく言われることには、18世紀中ごろ、スイスのマイリンゲン(Meiringen)村でガスパリー二という菓子職人が考案したとか、ロレーヌ侯スタニスラス・レクチンスキーお抱えの職人の考案したなど、諸説あり真相は定かではありません。

 

 しかし私が今一番有力だと思っているのは、16世紀のイタリア説です。名前こそメレンゲではありませんでしたが、卵白に砂糖を加えて泡立てたお菓子が存在していました。

 アブルッツォ地方のある一家で考案された、“ズッケ・マリターテ”というお菓子です。(マリア様の砂糖という意味) どの様なお菓子かというと、ホップとスイカの種と粉糖を混ぜ合わせたものに、卵白を加えて泡立てた砂糖を焼いたものを混ぜたものでした。文献だけなので、出来上がりは想像するしかないのですが、私は砂糖が多めの、ガリリと焼いたメレンゲに粉をまぶした、メレンゲ菓子というよりどちらかというと砂糖菓子だったのでは・・・と勝手に考えています。本当のところは分かりません。

 どちらにしても、メレンゲ菓子には砂糖が不可欠です。ヨーロッパとしては初期から砂糖を獲得していたヴェネチアやイタリアの貴族の間で、最先端のお菓子が生まれていたとしてもおかしくないでしょう。

 

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こちらはフランスのパティスリーで見かけた、大きなメレンゲ!!

大人の顔ほどのサイズがありました。

日本では焼きメレンゲだけを食べる習慣はあまりありませんが、あちらではポピュラーなおやつなんですね!

なるべく、ブログには美味しい写真も上げたいと思っているので、画像収集も頑張ります!

さて、次回は何についてでしょうか・・・お楽しみに

 

 

「砂糖」 ②

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 では、前回のつづきです。「砂糖」の普及について~

 

 4~5世紀末、この頃にヨーロッパでは長く続いたローマ帝国が分裂し、現在のフランスの元になるフランク王国などが出来あがってきました。しかしなお、砂糖はまだ高価なものであり、庶民どころか貴族の間でも手に入りにくい希少なものでした。

 変化が訪れるのは10世紀頃、イタリアにベネツィアの町ができ、ヨーロッパの船貿易の先駆けの場になりました。水上に立った倉庫には、中東やインドからやって来た沢山の品物が保管されたのです。そこで966年、ヴェネチア商人はアラブ人の真似をして、クレタ島に製糖所を建てます。このことが、イタリアのお菓子の発達に少なからず影響を与えたと言えるでしょう。

 しかしこの製糖所だけでは、ヨーロッパ全土は賄えません。その後1099年、十字軍がイエルサレムを占領すると、砂糖に飢えていたヨーロッパの王侯貴族が殺到することになります。彼らは砂糖で富を築きたいと考えている者がほとんどで、持ち帰られた砂糖は、薬やスパイスとして高値で取引されました。

 

 そして決定的出来事が15世紀末、大航海時代の到来です。アメリカ大陸が発見され、ヨーロッパの気候では難しかった作物の栽培が、新大陸の植民地で始まります。ジェノバの商人コロンブスが、現在のドミニカ共和国のサンドミンゴにサトウキビを持ち込むと、瞬く間にヨーロッパに砂糖が広がりました。そして病人にも貴族にも食べきれない流通量に、高騰していたその価格も暴落するのです。ついに砂糖が庶民のものになったのです。

 

 このように見ると、長い歴史の中でも砂糖が実際にお菓子や料理に多用され始めたのは比較的近代のように思われます。その背景には、十字軍に侵略された中東の人々や、新大陸で奴隷として働かされた人々の存在があったことを忘れてはいけません。

 普段、当たり前に使っている材料も、長い歴史のタマモノなのだと、改めて大切にしなければいけませんね!

 

 さて、では砂糖の広がりによってどの様なお菓子が出来上がったのか、次回はいよいよお菓子に着目して書きたい思います・・・

 

 

「砂糖」 ①

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 まず始めは、お菓子作りに不可欠な材料のひとつ、「砂糖」から勉強していきたいと思います。

 砂糖にもいくつか種類がありますが、その中でも一番私たちの生活に根付いている、サトウキビから採れる砂糖(蔗糖)の誕生からです。

 

 イネ科の植物、サトウキビはインドネシアニューギニア島付近が発祥とされ、その後紀元前6000年ごろには、インドや東南アジアに広まりました。サトウキビから砂糖の精製を始めたのは北インドベンガル地方とされています。

 紀元前130年頃の書物には食卓にすでに砂糖菓子やシロップがあったこと、また、サトウキビがそのまま並んでいて、人々はそれをかじり、直接汁を吸っていたことが記されています。

 

 さて、サトウキビが中東や地中海に伝わってくるのは紀元前500年頃、キャラバン(ラクダなどを使った長距離商隊)によってですが、それ以前のオリエント世界のお菓子事情はどの様なものだったのでしょうか。

 

 紀元前3000年頃には、地中海付近ではメソポタミア文明が、エジプトではエジプト文明が栄えていました。実はその頃すでに、イチジクのコンポートだとか、パンなど、お菓子の類が生まれ始めていたのです。ではそれらのお菓子が、どの様な糖類を使ってできていたかというと、蜂蜜や果実そのものの糖分、または栽培されていたナツメヤシを完熟させて絞ったシロップ「デバル」などでした。

 サトウキビの砂糖はオリエント世界に持ち込まれた後も、中世、ルネサンスごろまで非常に高価なものであり、ときに金ほどもの価値のある、薬でありスパイスであり、王侯貴族のための物でしかなかったのです。

 

 ではこの砂糖が、いかにして庶民の間に普及したか、お菓子の材料として出回っていったかということは、次回の記事で書いていきたいと思います・・・

 

 

 

 

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